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基本情報
ハビエル・アギーレ
1958年12月1日生まれ(55歳)
メキシコ人
現役時代はMFとして活躍。メキシコ代表として1986年メキシコワールドカップに出場している。
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監督としての経歴
CFアトランテ
1995-96シーズンに、自身が現役時代に選手として所属していたCFアトランテで指揮を執る。
順位は不明(優勝ではない)
CFパチューカ
1998-99シーズンから2000-01シーズンまでCFパチューカにて指揮を執る。
2部へ落ちたり上がったりという状態だったパチューカだったが、アギーレが就任してからは、リーグ優勝するなど一気に強豪チームとなる。
メキシコ代表
パチューカを立て直した手腕を買われて、2001年からメキシコ代表監督に就任。2002年日韓ワールドカップでは、イタリア、クロアチア、エクアドルという難敵揃いのグループを1位で突破しベスト16入りを果たした(トーナメント1回戦でアメリカに敗退)。
オサスナ
日韓大会が終了してから、スペインリーグのCAオサスナの監督に就任。弱小チームであった同クラブを4年間率いて、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイで準優勝し、リーグ4位に入り翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得できるまでに強化した。
アトレティコ・マドリード
そのオサスナでの実績を買われ、翌06-07シーズンからはアトレティコ・マドリードの監督に招聘された。07-08シーズンにはアグエロ、フォルランの最強コンビが得点を量産し4位に入るも、翌08-09シーズン(3年目)の冬に成績不振を理由に解雇される。
メキシコ代表
10年南アW杯の出場をかけた最終予選を戦っている最中のメキシコ代表スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が解任され、09年4月に再びメキシコ代表監督に就任。見事本選出場を果たし、10年南ア大会ではフランスを2-0で破るなどし2位で予選を通過するも、一回戦でアルゼンチンに敗れ去る。大会後、代表監督を辞任。
レアル・サラゴサ
10年11月にレアル・サラゴサの監督に就任。開幕から負け続きだったチームを立て直し13位でフィニッシュ。目標である一部残留を達成するも辞任?解任?
エスパニョール
11-12シーズンは無職。12年11月からまたも開幕から調子の上がらなかったRCDエスパニョールの監督に就任。2年連続13位とまずまずの成績を残し、14年5月に退任。
日本代表
2014年6月のワールドカップブラジル大会を無職でテキトーに観戦していたら、大金を抱えた原さんという日本人に口説き落とされる。
特徴
得意なサッカーはしっかりした守備からのスピーディに攻めきる堅守速攻型。
成績不振にあえぐ弱小チームを立て直してきた実績はピカイチだが、強烈な攻撃陣を擁したアトレティコでは思うように行かなかった。
そのことからも、豊富な駒をまとめ上げることよりも、限られた駒で強者に向かっていく為の守備組織とメンタリティをチームに植え付けるのが得意と言える。
そういう意味では日本代表監督にやり甲斐を見出しているかも知れない。
システムは決まった形を極めるよりも相手に合わせて柔軟に変えていくタイプ。
日本はそういう柔軟性のある戦い方が得意ではないので、相手の攻撃をチーム全体で吸収してしまうような連動した守り方や、攻められながらも攻撃の準備をするしたたかさなんかを植え付けてもらえたら、戦い方に幅ができて非常にいいと思われる。
性格
温厚だったザックとは対称的に、闘志むき出しで選手に激を飛ばす熱血漢。
熱くなりすぎて相手選手を蹴っ飛ばしたこともあるとか。
その熱意と激しさに日本人がついて行けるのかがちょっと心配。
名の通った選手だからと言って優遇することはなく、むしろ若手や無名選手を発掘して戦力として育て上げることを好む。アグレッシブに戦える選手を使う傾向がある。
ベースボールが大好きらしいので、日本のプロ野球にも興味津津かも。
アギーレジャパン初お披露目
アギーレジャパンの初陣は、9月5日札幌ドームでのウルグアイ戦。
おそらく噛み付き男は謹慎期間中だろうからウルグアイ的にはかなりの戦力ダウンだが、相手に不足はない。
果たして新生アギーレジャパンはどんなサッカーを見せてくれるのか?
個人的にはウルグアイのお株を奪う高速カウンターで攻めきる形を見たい。